薄羽カゲロウ日記(霜月二十六日)

 

 西新宿に住んでいたことがある。

 

私の住んでいるマンションは急坂の中腹にあり、細い道をへだてて管理職ユニオンが入居しているビルがあった。隣は鬱蒼とした木々に覆われた宿屋で、素泊まり3,000円と書いてあった。会社まで長く急傾斜の坂道を登らなくてはいけないのだが、新宿公園の緑に囲まれてなんとも心地がよいところで、かえって清々しい気分になった。

 

中沢新一氏の『アースダイバー』によれば、このあたり一帯は埋め立てられるまで、「みたらし池」「蛇池」と呼ばれ戦前まで人々のかっこうな遊び場所になっていたらしい。「十二社の森はうっそうとして、妖しい雰囲気をたたえているので、この池ではボート遊びをしていた男女は、きまって妙な気分になってきた。そこで池のまわりには、たくさんの連れ込み宿などもできるようになった」とある。

 

出久根達郎氏の『逢わば見ばや』は、古本屋業界の人々の離合集散を描いた小説であるが、そこに出てくる人々の集合場所は、黒いお湯の出てくる十二社温泉であった。

 

休日に新宿公園に行ってみると、路上生活者の人の多さに驚いた。生まれも育ちも東京だという同僚によると、「あれはあれで、路上生活者は自分の空間を確保するため大変なのですよ。たまに若者の新入りが入ってくると、路上生活者のボスみたいなのがあらわれて5万円やるから、2丁目のホスト・クラブにいけ、といって追い出すらしいですよ」と言った。

 

残念ながら、私は一年半そこそこで西新宿を去ることになるのだが、あの心地よさだけは忘れられない。

 

 

文学研究会騒動記 第11回

 そして学園祭が挙行された。


 大学の校門から入り、さまざまな店を見学していると、お好み焼きを食べている4回生の桑原さんと三田村さんに会った。同じ哲学科なので仲がよいのだろう。情宣で講演会に参加してください、と言うと「OBは現役のやることに不介入という不文律があるから」と言って去ってしまった。


いよいよ坂元に付き添われて松頼好之氏が今出川の門に入って来た。


松頼氏はサングラスをかけ意外と小柄だった。二人はそのままに講演会場に向って行った。

講演内容は、

「最近、この大学は偏差値バブルで調子にのっているようですが。内容が伴っていない」

などと大学受験のゴシップ話を話して、ものの五分も経たないうちに講演は終了、演壇の松頼はうやうやしく金一封を学術団の某から受け取ると、してやったりという調子で演壇から駆け降りてどこかへ消えてしまった。

 

 

その後、松頼好之を囲む会が行われた。


後にコワモテで評判の酒村と私がおびえて喫茶店に入りそびれていると、前会長の粟田さんが現われ「さっさと行けよ」と言うと、最近の奴は根性がないな、と不快そうに去って行った。
 

 入会したばかりの酒村があのカッコいい人誰だ、と問うと私がぶっきらぼうに「あれが粟田さんだよ。前会長の」と言った。

松頼氏は喫茶店で皆が見守る中、坂元といろいろ話しをしている最中で坂元が、

「僕は先生のように監獄に入らないとその立場がわからないと思うんです」

と言うと、松頼氏は、

「坂元、監獄に入る必要なんかないんだよ。俺が警察に逮捕されたのはたんに俺の足が短いからだよ、逃走(闘争か)は常に足の長い奴が有利なんだ」

と冗談を言ったが、唐突だったし、笑ったら坂元の機嫌が悪くなるかもしれないというおそれから誰も笑わなかった。

「でも、予審で弁護士に会うのが楽しくてね。弁護士が俺、頭イインだからお前たち論破してやるって言うんだよ。理論ならこっちも負けねえと思って、喧々諤々やったものよ」

と言いはなった。

 

 

坂元はことのほか上機嫌で、どこかで飯を食って田辺苫屋館で飲もう、と田辺まで私と一緒に帰った。喫茶店で食事していると、坂元が思い出したように。

 

「そういえば、松頼の小説が、部室の外に落ちてたけど、誰や、あんなことしたん。俺、古谷が怪しい思うとんねん」

 

と言い出した。私は一発殴られてもしかたないと思ったが仕方なく、
「俺や」と言うと、坂元は「お前それだけは言うんじゃなかったな」と怒りながらもしんみりと、

「高校時代もお前みたいな奴おってん。なんでも俺のやることに協力してくれてな。もう、ええわ。講演会に松頼呼んで、やりたいことやったしな」

 

と言って、立ち上がると、寒い田辺の田園地帯に消えていった。

 

 

 

 

 

文学研究会騒動記 第10回

松頼好之氏の受賞作を手に入れることが、講演会開催の条件であったが、坂元はその本を手に入れるのに悪戦苦闘した。大学の今出川、田辺のラーネッド図書館にも松頼好之の著書『京都よ、わが情念のはるかな飛翔を支えよ』はなかった。

坂元は恥を忍んで中背川会長と一緒に松頼氏のもとに行き、講演依頼と、ついては当該著書を借用したい、と頼んだが、氏は「実は俺も持っていないんだよ」といなされたらしい。

坂元は京都、大阪神戸の府立ないしは市立の図書館を駆け巡った。

或る日、何気なくラーネッド図書館の入口正面にある希望購入図書の可否を貼り出す掲示板をみていると、坂本が取り寄せ申請したと思われる松頼好之著『京都よ、わが情念のはるかな飛翔を支えよ』と書かれたA5大の紙片に大きくマジックバツが書かれているのを発見した。

反対派の私はそれを見て、内心苦笑したものである。

10月後半にようやく坂元が雑誌「すばる」の松頼氏の受賞当該号を手に入れたという。私も坂元の熱心さにひかれたし田辺校地の管理責任者である西野さんも折れた。結局、田辺校地の会議で全員合意で松頼好之氏の招聘を決めた。


雑誌「すばる」の当該号は田辺の部室に無造作に置かれていた。土曜日、授業を終えて部室に顔を出すと、先日坂元と飲んでいて仲違いしたからか、文研ノートに坂元の筆跡で

「土居としゃべっとるなら犬としゃべっとった方がましだ」

という書き込みがあった。

協力的に学園祭を挙行しようとした私は気分を害し、小説「すばる」を部室の外へ霧雨の降る雑木林に投げ捨てた。

 後で坂元が気がついて雑木林のなかから拾ったらしいのだが、不思議なことに彼はこのことを何の問題にもしなかった。

文学研究会騒動記 第9回

 会議の後は会員全員そろって四条河原町で一次会をおこなった。ニ次会は堀内さんと私、坂元、静寂の4人で、堀内さんお気に入り木屋町の「アフリカ」という熱帯雨林の装飾をしたバアで飲んだ。


話の内容は会議後、印刷された期間誌「未(いまだ)」の論評会。今回のメインは堀内さんの友人の作品だったが、


「原稿を友人に託してしかも印刷会に来ないで、こんな単純で簡単な構成で好きな女性の面影を花にみたてた小説を書いている。無責任な人だなあ」

「いや、こういう作品だったからこそ本人は恥ずかしくて印刷会に出て来られなかったんじゃないかなぁ」

話のなかで坂元が講演会に呼ぼうとしている松頼好之氏が大学を卒業し中部新聞の記者をやっていたということで、少し私は安心した。

私は立花隆さんの『中核VS核マル(上)(下)』というような作品を読んでいたので「全共闘で暴れ逮捕」、イコール、「某委員会某セクトの書記長、某のアジトを発見。某居住のマンションを狙い隣室に潜伏、バールを持って壁をぶちやぶり某殲滅に成功」、といった時代錯誤な情景が頭に浮かぶのである。

山村と午前三時の夜中の京都の町を歩いていると、公安にマークされているらしき男を見たこともあった。二人とも早足で歩いていて、時折後ろを歩いている男が距離を縮じめ前の男の靴を踏んだ。前を歩いている男は「やめてくださいよ」と弱々しく抗議するのを見て、この人は昔、学生運動か何かをやって、いまだにいやがらせを受けているのだ、と思った。

 

 

時計をみると午前3:00を過ぎていた。いつものお決まりのコースの四条大橋のたもとの石畳に寝そべって鴨川をみながら、駄弁っていようと思ったが、坂元がしきりに気分が悪いという。しかたなく、今出川別館の部室に運んで介抱するが本当に死にそうだと本人が言うので、午前5:00堀内さんが消防署に連絡して病院にかつぎこんだ。

 カドモス坂元は体格はいいが案外酒に弱いのかもしれない。この前も田辺苫屋館の絨毯の上に大量に吐かれておうじょうしたものだ。

文学研究会騒動記 第8回

 そんな坂元が文学研究会に無理難題を叩きつけてきたのは、徐々に文学研究会の部員が固まりだした頃、9月に最初の文学研究会の今出川例会が開かれた時だった。

 

 会長の中背川さんは国文科の3回生。柳井出身でいかにも当世の明朗にして快活なスポーツ青年で、或る京都にある老舗の大手製造会社の社長のご令嬢とお付き会いしている。中背川さんはテニス・サークルと文学研究会をかけもちしていた。学友会や国文学会にも委員として参加しているらしい。愛読書は宮本輝の「青が散る


 渉外の堀内さんは経済学部の3回生。奈良田原本町出身でがっちりとした体格で自転車サークルと文学研究会をかけもちしており、一、二回生のいる校舎で練習があるときは必ず文学研究会に顔を出してくれた。

今出川別館の5階に10人そこそこの部員が集まったのを見て、中背川さんは満足げに「うむ」とうなずくと会議を始めた。

学園祭に関する会議であったが、冒頭に中背川さんが衝撃的なことを述べた。

「誠に会長としては至らぬ限りで申し訳ないのですが、今年は学友会の予算がおりず、文芸誌の発行はできません」

文芸誌の発行を期待して原稿をためておいた中河があきらめきれぬように、

「どうしても駄目なんですか?」

と問うと、中背川さんが「うんそうなんだ」と言ったまま沈黙をたもった。仕方ないんだ、この陣容ではという態度が無言のうちにもうかがえた。

私もその話はうすうす聞いていたが、そう断言されるとおおいに失望した。文芸誌を発行しなければ文学研究会の存在意義が問われる。現在は学友会の認定団体として予算がおりているが、来年はその予算さえおりなくなる可能性があった。学園祭は文学とは何の関係もないたこ焼きの店を出したりするのか、と考えるとうんざりした。

するといままで沈黙していた坂元が話をはじめた。

「中背川さんとも話しとったんやけれども、今回の学園祭は講演会、僕の河合塾時代の恩師、松頼好之氏を招きたいと思います」

すると2回生の西野さんが、

「その人と文学研究会とどんなつながりがあるの?」

と尋ねた。坂元は不満そうに口を曲げると、

「関係ゆうても何もあらへんけど、そうやな全共闘ゲバ棒をふるって逮捕されたりして、、、、、とにかく河合塾で僕がいちばん感動した人でとにかくよびたいんです」

と少しシドロモドロになりながら説明した。西野さんはさらに鋭く、

「それは坂元君が個人的に会いにいけばいいんじゃないの?来年の文芸誌の発行のお金のこともあるし、今年は無難に学友会から機材をかりて飲食物を売る店をたてたほうがいいと思うは」

皆もっともだ、という雰囲気で顔をした。坂元はアッという顔をして、

「そういえば松頼さんはすばる文学賞をとった、ってゆっとった。関係あるは文学と」

すると西野さんはたたみかけるように、

「そんな重要な事を忘れるなんて坂元君が個人的にその先生をよびたいだけじゃない。私は興味ないわ。それよりも、来年のためにお金をとっておいたほうが賢明じゃない?」

と言った。長時間、坂元と西野さんのニラミ合いが続き、部室は静まりかえった。

私は学生が表四郎なる予備校教師京都大学にまねいているのをみて否定的な見解をしめしていたし、大学生になってまで予備校時代のことをひきずるのは不味いと思った。しかも相手は全共闘で逮捕された人物である。そう思って、

「僕は西野さんに賛成です。来年のためにお金をとっておいた方がいいと思います」

と言うと、坂元は私に裏切られたという怒りにかられ「たこ焼きなんかしょぼいことしてどないすんねん」、「会員の総意ってものも考えろよ」としばらく怒号の応酬になった。

たまりかねた中背川さんが結論を出した。

「西野さんの言う事ももっともだが、坂元君の情熱も捨てがたい。
じゃあこうしよう。坂元は学園祭の準備が始まる10月半ばまでに、松頼さんの受賞作を持ってきて会員全員に読んでもらい同意を得ること。それができなかった場合はたこ焼きの店を出す。これでいいね」

文学研究会騒動記 第7回

 田辺校地で読書会が行われた。

 

 テキストはヘンリー・ジェイムスの「ねじの回転」。英文科の西野先輩の指定だった。古典であり内容は難解、何でこんな本を選んだのと思ったが、何とか読書会前日に読み終えることができた。坂元は欠席、結局南先輩、中群礼、古谷の五人しか出席しなかった。

 

 開始時間が迫った頃、部室から南先輩と肩を組んだ中群礼が、顔を紅潮させて出ていったまま戻ってこない。結局、西野先輩、私、古谷と三人でしんみりと読書会が開かれた。

 

「南先輩と中群礼はどこへ行ったのだろう」

 

と言うと、古谷が、

 

「二人ともラブ・アフェアの真っ最中だろうよ」

と言った。「そんなことがあるのか」と言うと、その光景がおかしかったのか、西野先輩が笑いながら、「芝生の上に寝転んで、本でも読んでいるのでしょうよ」と私の動揺を見透かしたように言った。

 

読書会が終わると、山の麓にあるカラオケ店でビールを飲んで解散した。

 

 


 

文学研究会騒動記 第6回

 その中にあって坂元は異質な存在であった。

 

 坂元は神戸出身で御影石を刻む職人さんの子弟らしい。

 長身にして引き締まった上半身を持ちいつも何か不満げで鬱屈した表情を浮べていた。坂元の浅黒い顔から発するドラ声は周囲を大いに威圧した。私は彼の迫力からギリシア神話のカドモスに、にていると思いカドモス坂元と呼んだ。

 或る時、坂元と部室を出て列車に乗り込むと、坂元と同じテニス・サークル部員らしきキャバレーにいるようなケバケバしい化粧をした女が、彼女の化粧の具合と同じようにねっとりと坂元の体に密着して、

「あなたあさって空いとるん?テニス・サークル、ルナシー・ガルデリウスの存亡がかかってんねん。絶対参加してな」

と言うと去っていった。その後、坂元は一般的な男にありがちな誇らしげな表情をするかと思いきや、吐きすてるように、

「オレ、あんな奴らと一緒に並べられるんイヤヤねん」

とボソリと言った。

坂元は純粋にテニスというスポーツで若き肉体の躍動の悦びを謳歌したいのだ。しかしながら、現実のテニス・サークルは軽佻浮薄な連中のあつまりで男女の交際の仲介物としてテニス以外の行事に力をいれている。そんな現実に坂元は絶望していたのだった。

「硬式テニス部にでも入ったろか、思うとんねん」

また、坂元が何本かの酒瓶と生肉を抱えて田辺苫屋館に遊びに来てグテングテンに酔っぱらって必ず言う言葉は、

「お前、文学のことホンマに考えとるんか?」

という言葉だった。

「あの中島敦山月記ってあるやろ。俺、あの虎になりたいねん。わかるやろ土居氏」

私はかねがね「月山」を書いた森敦のようになりたいと思っていたのでこの言葉には共感できた。つまりお互い社会に認められるか否かわからないが、渾身の力を込めて自己の人生を投影したひとつの珠玉の作品を残したい、という願望があった。

彼自身、大学受験から解放されたエネルギーを何処に向けてよいのかわからず、平和で安穏とした大学生活を目の当たりにするや、日々その鬱屈したエネルギーが刻々と増してゆき、そのイライラが更にドラ声の威力を増した。

そんな彼が部室に入って来ると彼の発するいきどころのない怒りと凄まじい殺気が部室に漲り、部室が冷りついたようになった。

山村は「授業にいってきます」と風の如く去り、古谷は「星の会に用事があるんだった」、西野さんも「さあ、クラマ絵画においてある絵を仕上げなくっちゃ」と話を端折って部室を去ってしまう。自由に活動していた会員が一瞬にして、まるで鶏が庭の地面に落ちている餌をついばむような不自然なあしどりでぬきあしさしあし部室を脱出していってしまうのだ。

或る日、部室で山村が先日、坂元と会ったという話とその情景を話してくれた。

坂元と山村は偶然JR京橋駅で列車の向いあわせに座ったが挨拶もせず、JR京橋駅から大学前までの40分の間、下車するまでお互い顔をにらみあわせながら無言でやりすごしたという。

私は山村に、

「お前、それは異常なことだよ。部室で顔をあわせた者同士が、ひとことも声をかけずにお互い無視しあって40分間も沈黙してるって異常なことだと思わない?」

と私は言ったが、山村は、

「だって俺、あいつの事、なんも知らんねんもん。しゃあないやん」

と言った。