義経上洛記 第3回

 

六条堀川の館に居を定めた九郎義経は京都の守護職に任ぜられ、その日々を市中の取り締まりに追われて送っていた。

ある日の夕刻、見廻りから帰った義経は館内に幽閉されている平大納言時忠を見舞った。義経が枝折り戸を開けると、娘の夕花に庭の花などを摘ませている大納言の姿が目に入った。

義経は「かの人がかって平家に非ずんば人に非ずとのたもうた平大納言と同じ人であろうか」と、ふと立ち止まってその優しげな姿についつい見惚れてしまっていた。

夕花が義経の姿に気付いたらしく、頬を赤く染めると目礼をして奥に下がっていった。

「やや、これは判官どの。気付もせで」

大納言はそう挨拶すると室内に義経を招じ入れた。

「花をさされていた御様子ですな」

「左様。幽閉の身は退屈でござっての。花などささねばやってはゆけぬ」

義経は以前にも文の遣り取りはしていたものの、壇の浦の船上で初めて顔を合わせただけの浅い仲である大納言に敵の虜将という立場を忘れて親近感を覚えるようになっていた。

武者の中には大納言を「風見鶏」であるとか「清盛公の弟でありながら源氏と内通した卑怯者」とあからさまに蔑む者もいたが、義経にはこの大納言が自らの保身のために内通を働くような者ではないことはわかっていた。が、彼は自らもくろんだ源氏との和平が破れたにもかかわらず壇の浦で一門と運命をともにせず、平家の捕虜として捕らわれの身に甘んじて日々を送っているのかは謎だった。

斬首か遠島か。自らの処遇もわからぬ日々にのんびりと幽居の庭で花をつんでいる大納言の姿を見ていると、単に自決をおそれ助命を願いでて生け捕りにされた平家武者とは異なる何かの思いが彼を生かしている事は明らかではあった。しかし、それがなにか義経には分からなかったが、強いて大納言に問おうとも思わなかった。