義経上洛記 第4回

「京の都は判官どのの噂で持ちきりのようじゃな。鞍馬寺の義朝公の遺児が、見事父の敵を討って京に凱旋してきたと」

義経は大納言の顔をうかがった。若い頃はピンと張っていたであろう太い眉も端が垂れ、白いものが多く混じっている。眼尻も幾重にも皺が重なって精気がなく、その浅黒い肌に夜の暗い影が忍び寄っていた。彼も若い頃には平清盛の懐刀として強権をふるい、人々を震い上がらせた人である。赤い小袖の童子を市中に放って平家の悪口を言うものを密告させたのもこの人である。

 

自分も老境に入ればこのように精気のない老人に変じていくものかと義経はときの流れにふと恐ろしさを感じもしたし、またこのように変わりたくないと思っている自分の心も感じていた。

庭に虫の声が徐々に聞こえはじめると、夕花が燭を灯しに再びやって来て、酒の支度などをすますとまた奥へさがっていった。

月が高く昇りはじめ、やがて雲間に隠れたのが軒下からうかがえた。

「酔えませぬ」

「はて、何か日常にご不満でもお有りか」

大納言は杯を舐めながら目を細めた。

「このような美酒に酔う日々にも、ふと恐ろしさを覚えることがございまする」

「はて、はて。異なものの言いようよ。平氏を木端微塵に打ち破った鬼のような将軍が何や怖がるようなものあらん」

「自分でもよくわかりませぬが」

「人は満ち足りた時ほど、何かもの悲しゅうなるものでござる。判官殿、堀川の館には側女ひとりおらぬというではないか。側室でもお迎えなされい」

ふと義経がうつむくと、いつのまにか夕花が新しい酒をささげ持って薄暗い次の間に控えていた。

大納言は夕花からそそがれた赤い釉薬の塗られた杯を口に含むと、上目づかいに義経を見ながら言った。

「人はの特に貧窮の中から這い上がってきた者にとっては安寧とは思いのほか落ち着かぬものよ。この栄華と享楽を夢見て這い上がって来ながら、それをつかむとまた何かを求めて他に諍いを起こす。貧乏武者の頃の性がぬけきれぬともいおうか、公家のように安楽の日々にじっと安住はしておれぬのじゃ」

大納言は杯をそっと膳の上に置くと、いつもの柔和な笑みを頬から消すと、ジッと鋭い視線で義経を見つめてゆっくりと語りだした。義経はその表情が老獪な狐に似ていると思った。

「わしは幼い頃亡き清盛公とともによく塩小路の土民の市にたむろしておった。殿上人の生活をうらやましく、そして妬ましくじっと下から眺めておったものよ。そして保元・平治の乱で自らが殿上人になった。すると不思議なものじゃ、その毎日が退屈でしかたない。これならば清盛公と六波羅の館で義朝と一戦交えておった頃の方が楽しかったのではないかと思う時さえある。心は修羅を求めて止まぬ。特に、底辺から這い上がってきた者にとってはの」

「私が修羅を・・・・・この源氏の世に・・・・・」