義経上洛記 第5回

 

 夕花を堀川の館に迎えてからの義経は、心なしか日常が華やぎだしたように近侍たちには感じられた。大原の野へ夕花をつれて出掛けてみたり、密かに近侍の鷲ノ尾に豪奢な衣を買いにやらせたり、常の彼にはない行動をとりだしたのも確かであった。

確かに華やぎといえば聞こえがよいが、一時の京の守護以外に興味を示さなかった峻厳な頃に比べて、多少義経が京の風に染まって軟弱になっているのではないかと、鎌田正家などは噂した。

「鎌田は硬すぎるのだ。義朝公の遺志をうけて山伏姿に化けて二十年。いつのまにやら身も心も修験者のようになってしもうておるのよ。判官殿が少しくらいおなごに優しゅうしてもよいではないか」

「やや片岡、何を申すか。わしは九郎殿の弓の弦がゆるむのを恐れているのよ。京には未だ平家の残党がうろうろしておるというのに」

六条堀川の館の東側にあるだだっ広い板の間に、警護から帰還した義経股肱の武者たちが自然と集まってきて、夜になると酒を飲みだす。今日も夕刻に帰館した鎌田正家、片岡為春、佐藤忠信などが秋の冷たい吹きっさらしの板の間にあぐらをかきながら酒肴に興じていた。

「近頃は弓の的場に立たれることも少ないというぞ」

佐藤忠信がふしくれだった太い指で、徳利に巻かれた荒縄をつかみながら言った。

「やや、それみたことか」

鎌田正家がしたり顔でうなずいた。義経鞍馬寺遮那王と名乗っていた頃より付き従っていた鎌田は、五十過ぎ白髪が混ざり始めた今でもなお妻帯することはなかった。しかし、今もなおその肉体は衰えを知らず、常に若い者にはひけを取らぬという気概が満々ている。

「ひよっとして、あの夕花は大納言の回し者。判官殿をたぶらかせという命でも受けてまいったやもしれぬ」

「まま、回し者か否か判官殿が見当つかぬという事はないにせよ、かりそめにも平家の総領の弟にあたる平大納言の娘じゃ。鎌倉殿の耳に入ればただではすむまい」

武者たちが蓮華座に溜まった板の間の障子をあけた者がいる。ギョッとして障子を見やった佐藤忠信であったが、それがいつもの仲間であることを確認すると、安堵の表情を浮かべて声をかけた。

「おう、鷲ノ尾ではないか。青い顔をして如何した」

鷲ノ尾と呼ばれた十六、七の痩せてすばしっこそうな少年は、チョコナンと三人の間に座ると話し始めた。

「そりゃ、青い顔もするわさ。殿と一緒に馬駈けをしておったら、深草のあたりで奇っ怪なものをみてしもうた」

 

義経上洛記 第4回

「京の都は判官どのの噂で持ちきりのようじゃな。鞍馬寺の義朝公の遺児が、見事父の敵を討って京に凱旋してきたと」

義経は大納言の顔をうかがった。若い頃はピンと張っていたであろう太い眉も端が垂れ、白いものが多く混じっている。眼尻も幾重にも皺が重なって精気がなく、その浅黒い肌に夜の暗い影が忍び寄っていた。彼も若い頃には平清盛の懐刀として強権をふるい、人々を震い上がらせた人である。赤い小袖の童子を市中に放って平家の悪口を言うものを密告させたのもこの人である。

 

自分も老境に入ればこのように精気のない老人に変じていくものかと義経はときの流れにふと恐ろしさを感じもしたし、またこのように変わりたくないと思っている自分の心も感じていた。

庭に虫の声が徐々に聞こえはじめると、夕花が燭を灯しに再びやって来て、酒の支度などをすますとまた奥へさがっていった。

月が高く昇りはじめ、やがて雲間に隠れたのが軒下からうかがえた。

「酔えませぬ」

「はて、何か日常にご不満でもお有りか」

大納言は杯を舐めながら目を細めた。

「このような美酒に酔う日々にも、ふと恐ろしさを覚えることがございまする」

「はて、はて。異なものの言いようよ。平氏を木端微塵に打ち破った鬼のような将軍が何や怖がるようなものあらん」

「自分でもよくわかりませぬが」

「人は満ち足りた時ほど、何かもの悲しゅうなるものでござる。判官殿、堀川の館には側女ひとりおらぬというではないか。側室でもお迎えなされい」

ふと義経がうつむくと、いつのまにか夕花が新しい酒をささげ持って薄暗い次の間に控えていた。

大納言は夕花からそそがれた赤い釉薬の塗られた杯を口に含むと、上目づかいに義経を見ながら言った。

「人はの特に貧窮の中から這い上がってきた者にとっては安寧とは思いのほか落ち着かぬものよ。この栄華と享楽を夢見て這い上がって来ながら、それをつかむとまた何かを求めて他に諍いを起こす。貧乏武者の頃の性がぬけきれぬともいおうか、公家のように安楽の日々にじっと安住はしておれぬのじゃ」

大納言は杯をそっと膳の上に置くと、いつもの柔和な笑みを頬から消すと、ジッと鋭い視線で義経を見つめてゆっくりと語りだした。義経はその表情が老獪な狐に似ていると思った。

「わしは幼い頃亡き清盛公とともによく塩小路の土民の市にたむろしておった。殿上人の生活をうらやましく、そして妬ましくじっと下から眺めておったものよ。そして保元・平治の乱で自らが殿上人になった。すると不思議なものじゃ、その毎日が退屈でしかたない。これならば清盛公と六波羅の館で義朝と一戦交えておった頃の方が楽しかったのではないかと思う時さえある。心は修羅を求めて止まぬ。特に、底辺から這い上がってきた者にとってはの」

「私が修羅を・・・・・この源氏の世に・・・・・」

 

義経上洛記 第3回

 

六条堀川の館に居を定めた九郎義経は京都の守護職に任ぜられ、その日々を市中の取り締まりに追われて送っていた。

ある日の夕刻、見廻りから帰った義経は館内に幽閉されている平大納言時忠を見舞った。義経が枝折り戸を開けると、娘の夕花に庭の花などを摘ませている大納言の姿が目に入った。

義経は「かの人がかって平家に非ずんば人に非ずとのたもうた平大納言と同じ人であろうか」と、ふと立ち止まってその優しげな姿についつい見惚れてしまっていた。

夕花が義経の姿に気付いたらしく、頬を赤く染めると目礼をして奥に下がっていった。

「やや、これは判官どの。気付もせで」

大納言はそう挨拶すると室内に義経を招じ入れた。

「花をさされていた御様子ですな」

「左様。幽閉の身は退屈でござっての。花などささねばやってはゆけぬ」

義経は以前にも文の遣り取りはしていたものの、壇の浦の船上で初めて顔を合わせただけの浅い仲である大納言に敵の虜将という立場を忘れて親近感を覚えるようになっていた。

武者の中には大納言を「風見鶏」であるとか「清盛公の弟でありながら源氏と内通した卑怯者」とあからさまに蔑む者もいたが、義経にはこの大納言が自らの保身のために内通を働くような者ではないことはわかっていた。が、彼は自らもくろんだ源氏との和平が破れたにもかかわらず壇の浦で一門と運命をともにせず、平家の捕虜として捕らわれの身に甘んじて日々を送っているのかは謎だった。

斬首か遠島か。自らの処遇もわからぬ日々にのんびりと幽居の庭で花をつんでいる大納言の姿を見ていると、単に自決をおそれ助命を願いでて生け捕りにされた平家武者とは異なる何かの思いが彼を生かしている事は明らかではあった。しかし、それがなにか義経には分からなかったが、強いて大納言に問おうとも思わなかった。

義経上洛記 第2回

そして彼らは馬上の判官義経を見た。

 

 鎌田正家、僧形の武蔵坊弁慶など股肱の臣に左右を護らせ、美々しい鎧に鍬形打ったる兜をかぶった馬上の武者は一見して、源氏の御大将九郎判官義経と窺がい知れた。が、民衆は馬上の義経の姿を見て一様に当惑の表情を浮かべていた。民衆は噂に聞く東国武者の荒々しさにも似ず一の谷の断崖を駆け降りた猛者の姿とも異なる、小柄で小さく女のような白い顔を兜のひさしの下からのぞかせている青年武者の姿を発見していた。大兵の鎌田、弁慶らに挟まれた義経の姿はまるで鎧をきた婦女子が馬上にいるような錯覚さえおこさせ、中には「御大将は他にやあらん」と探し出す者さえいた。ゆっくりと騎馬の武者が通り過ぎると、長柄を持った徒歩の雑兵が続いた。

 

 やがて義経一行が朱雀大路の砂塵の彼方に消えてゆくと、民衆は先程の武者がやはり九郎義経であったかと納得し、家路につきながらおもいおもいのことを口走った。

「いやはや、一の谷、屋島の合戦の勇猛果敢な姿を想像しておれば」

「なんと優しい武者である事よ」

「貴人のように涼やかな武者よ。花のような武者じゃ」

都の人々は地方の荒々しく粗野な気風は好まず、雅ではかないものを愛でて興ずる。上洛した御大将は恐ろしげな風聞とは異なり公達のように可憐であり、その日から京の町雀の話題の中心になった。

義経上洛記 第1回



 平家が壇の浦で滅んだという風聞が、京の巷のあちらこちらで流れはじめた頃、追討軍の総大将源判官義経が数百の兵を引きつれて上洛した。




垢じみた衣を着た卑しい民衆の中に公家の下男や僧侶などが混ざりあった群衆は、新しい為政者を見んと砂埃の立つ沿道にごったがえしていた。治承・養和の飢饉や相次ぐいくさで滅びたと思われた民衆もこの報をどこから聞きつけたのか、今日ばかりは潜んでいた破れ屋や山の疎林から蟻のようにぞろぞろと這いだしていた。白い毛のあちらこちらに泥のはねの固まりのこびりついた犬までも道にまろび出てきた。



やがて焼残った民家の高屋根で、伸びをしながら羅生門の方角を伺っていた肌着に荒縄を巻きまきつけた男が「くるぞっ。もうじきくるぞっ」と叫ぶと、民衆の雑踏は静まり、往来で遊んでいた子供はそれぞれの親たちに沿道に引き戻された。

薄羽カゲロウ日記(師走二日)

 私が3年前、越後湯沢の川端康成記念館を訪れた際、最も心惹かれたのは川端氏の書斎に常に掛けられていたという巫女を描いた小さな日本画である。

 

 灰色にぬりつぶされた背景に溶け込むように、黒い烏帽子をかぶり白衣に赤袴といういでたちの少女が笹を手に不安げにたたずんでいる。これから来るであろう、大きく抗いがたい神威に身を捧げざるをえない少女の諦念が、灰色の背景とあいまってその日本画をより陰鬱なものにしている。

 

 年端もゆかない巫女はかっと見開いた川端氏の眼と対峙しながら神々のご神託が川端氏の万年筆に降るように夜な夜な祈り、舞い、踊っていたのではなかろうか。

その日本画をみて、優れた作家というものは畢竟巫女のような存在ではないかと思った。

 

 彼らは筆によって時の声をつたえる。時代の精神と情操を言葉で汲み取り、未来を洞察しながら、人々の在り方に警鐘を鳴らす作家という種族は、人並みはずれて無意識と言おうか第六感が発達した動物ではなかろうか。

 

 自然の動物は地震などの天災が起こる前、本能によってその予兆を知覚することが出来るが、人間だけが発達するにしたがってこのような天変地異を予知できる動物的な本能が失われてしまった。

 

しかしながら、作家という特殊な生き物だけはその本能が失われることなく、たくさんの生命体とつながった膨大な無意識の共同体のなかから、敏感に時代の変化の予兆を感じているのではないか。そんなことを思い出しながらゾクッと背筋が寒くなった。