文学研究会騒動記 第3回

 その後、しばらくすると、1回生の私はひょんなことから敬意とも嘲笑とも判別のつかない「ブンケンのヌシ」と呼ばれるようになる。


 1回生の私が「ブンケンのヌシ」と呼ばれたのは、なにも文学研究会でたぐい稀なるリーダーシップを発揮した訳ではなく、さりとて文学研究会の書籍発行のために地下工作活動をおこなって資金を捻出したわけでもなく、ただ長いこと文学研究会の部室にいる暇な人という軽侮の意味を込めた蔑称なのである。

 同期の女の子に「いつでもわたしが部室を訪問すると土居が常に部室におる」と嘲笑された。

言い訳がましいが、私が長時間部室にいたのは、当時の下宿先、田辺校舎の麓にある一軒の旧い家屋を三人が分割して共同生活をおくっている田辺苫屋館と呼んでいた下宿先に原因が在る。

田辺苫屋館では6畳1間を3部屋与えられたが、日中は麓にあるためか日が入らない。読書をするにも縁側の冷たい板間に出ていって、建て付けの悪い硝子戸の近くへ行かなければならなかった。硝子戸を開けると、家主の西尾さんが耕している畑の肥しの臭いがプーンと鼻をつく。

 さらに致命的なのは、苫屋館の便所である。

下宿に入った時、あまりの汚さに閉口したものの、勇を鼓して掃除したのだが、その後も何故か私を嘲笑うかのように糞尿が便器の周りに山のように盛られている。何せ、夜中工事現場の作業員がはいってきて「トイレを貸してください」といってきて便所にしょうじいれると「やっぱり、遠慮しときマサー」といって用便を辞退してしまうくらいの汚さなのである。下宿先では内外にわたる糞尿地獄に私は苦しめられた。したがって、私は1日1回の義務を果たすまで部室を去るわけにはいかなかったのである。