文学研究会騒動記 第2回

 大学入学してまもなく私は文学研究会に入会した。

 

 図書館の前の芝生に置かれた机の上のノートに、女性の名前が書かれていた。負けてはならじと、入会希望のノートに名前を書いたのだが、それはサクラでノートに書かれた女性の名前は、既に入会している先輩の名前だった。

 

 全国に公募で小説や戯曲を募り松本清張を世に送りだした慶応大学の「三田文学」のような水準の高さを期待していただけに、私の入学した、この大学の研究会の閑散とした様子には落胆したし、後で主力メンバーの大半が4回生でこれから就職活動や大学院受験なので活動にまったく顔を出せないということを聞いて大いに失望した。

 

 バブル経済にやや陰りがみえてきた頃で会員もかけもちが多く、その背後には文学で議論して人生なんぞやということを語るよりも、テニス・サークルなど享楽的な遊びで大学生活をおくるほうが無難であると考える人が大多数を占める風潮があった。

 昼食時に学生食堂を訪ずれると、これでもかとばかりに横長のスポーツ・バックを床に置きテニス・ラケットを持ったテニス・サークル軍団が先輩のためと場所とりをしていた。テニス・サークル以外の者は昼に食事をとる場所を確保するのために多大な苦労を強いられた。田辺校舎の食堂はまさに発情期の男女の色香むんむんといった風情で、センスのよさで内部生におよばない外部生は仲間と認めてもらうために先輩たちの厳しい制裁をやむなく受け入れていた。

 

 文学研究会の友人がテニス・サークル内部の掟にふれたからといって頭を坊主のように五部刈りにしてきたのには驚愕したし、予備校時代の友人がテニス・サークルの余興として裸踊りに興じている、と伝えきいて唖然とした。